社長の名前で「新しいプロジェクトのため、LINEグループを作ってください」というメールが、経理や総務に届いていませんか。警察庁が「ニセ社長詐欺」と呼ぶこの手口は、1件当たりの被害が3,000万円を超えます。手口の流れと、AIで声までまねる海外の事例、経理・総務が送金を止めるための合図と社内ルールをまとめます。
ニセ社長詐欺とは何か
警察庁は、令和7年12月中旬ごろからこの種の事案を確認しています。「自社の経営者等になりすまして、メール等を送った後、SNSに遷移して金銭等をだまし取るもの」を「ニセ社長詐欺」と呼んでいます。会社をねらう「ビジネスメール詐欺」の一種で、統計上は主に特殊詐欺として数えています。
| 項目 |
2026年上半期(1〜6月、暫定値) |
| 被害額 |
38.8億円 |
| 認知件数 |
127件 |
| 1件当たりの被害額 |
3,130.7万円 |
| 被害を認知した地域 |
28都道府県 |
個人をねらう詐欺と比べて、法人の口座から送金させるため被害額が大きくなるのが特徴です。IPAの「情報セキュリティ10大脅威 2026」でも、組織向けの10位にビジネスメール詐欺が入っています(9年連続)。同じ組織向けの3位には、初めて「AIの利用をめぐるサイバーリスク」が入りました。
ビジネスメール詐欺の2つの型
IPAは、ビジネスメール詐欺をだます相手によって2つの型に分けています。ニセ社長詐欺は、このうち2つ目の型がSNSと組み合わさったものです。
| 型 |
なりすます相手 |
よくある入り口 |
| 取引先との請求書の偽装 |
取引先や海外子会社の担当者 |
「振込先の口座が変わりました」と偽の請求書を送る |
| 経営者等へのなりすまし |
社長、役員、親会社の経営層 |
「秘密の案件で相談がある」「少し時間があるか」と問いかける |
IPAの図。攻撃者が経営者を調べ、なりすまして財務担当に送金を頼む流れ出典: IPA(情報処理推進機構)(引用)
どちらも、ねらわれるのは経理や財務などお金を動かせる部門です。メールのやり取りを事前に盗み見て、取引の内容や社員の名前を調べている場合もあるとIPAは説明しています。
手口の流れ:メールからLINEグループ、そして送金へ
警察庁が公表している手口は、次の4段階です。IPAは、ビジネスメール詐欺は巧妙に人をだます手口のため、セキュリティソフトなどで機械的に防ぐのが難しいと説明しています。
| 段階 |
犯人がすること |
典型的な文面 |
| 1. メール |
ホームページなどで公開されている会社のアドレスに、実在する社長名でメールを送る |
「今後のプロジェクトに対応するため」 |
| 2. グループ作成 |
LINEなどでグループを作らせ、招待用のQRコードを返信させる |
「入金予定の資金があるので、経理担当者も招待するように」 |
| 3. 下調べ |
グループ内で、会社の口座残高を答えさせる |
(残高の回答を求める) |
| 4. 送金 |
急ぎの理由をつけて、指定の口座に振り込ませる |
「事業資金が至急必要だ」「取引先への支払いを代行してほしい」 |
警察庁が「実際に送られたメール」として公開した、ニセ社長詐欺のメールの例出典: 警察庁 SOS47特殊詐欺対策ページ(公共データ利用規約(第1.0版))
実際の被害
山形県の酒田観光物産協会は2026年1月、会長の名前をかたるメールから約2,300万円をだまし取られたと発表しました。読売新聞によると、経理担当者に「新しくLINEグループを作成いただきたく存じます」と届き、アドレスは別物でしたが本人と信じたといいます。
4日後には「2300万円を送金します。受領次第、ただちに振込手配を」などと連絡が続き、職員は入金を確かめないまま振り込みました。メッセージは半日で約60通に及び、専務理事は「冷静に判断する余裕を失う状況だった」と述べています。
石川県では2026年8月、県内の企業が1億5,000万円をだまし取られました。テレビ金沢によると、県内では6月に1,000万円、7月に200万円の被害も出ています。
犯人のメールには「私専用のLINE作業グループを新規作成してください。当面、私が参加するまで他メンバーの追加は行わないでください」とありました。
うちの会社もねらわれる?
警察庁によると、犯人はインターネットなどで公開されている会社のメールアドレスにメールを送ります。実在する社長名や会社名を使うため、気づきにくいとしています。つまり、ホームページに代表アドレスと社長名を載せているだけで、届く条件はそろいます。
被害は企業だけでなく、酒田の観光物産協会のような団体にも及んでいます。石川県でも、県内の企業や団体の被害が報じられています。
| 自社の状態 |
起こりうること |
今すぐできる備え |
| ホームページに代表アドレスと社長名を載せている |
社長名のメールが代表アドレスに届く |
届く前提で、受け取る人に手口を伝えておく |
| 経理担当が1人で、振込の作成から承認までできる |
1人がだまされると、そのまま送金される |
承認を別の人に分けるか、1人で送れる上限額を下げる |
| 社長が出張や会議で電話に出られないことが多い |
確認がとれず、急かされて送ってしまう |
秘書や副社長など、代わりに確認できる人を決めておく |
会社の規模や業種に関係なく、送金できる口座とメールアドレスがあれば対象になると考えてください。
声や映像までまねる:AIを使った詐欺
国内のニセ社長詐欺は、警察庁の説明ではメールとSNSを使う手口です。一方、海外では確認の電話やビデオ会議まで偽物だった事例が報じられています。
| 時期 |
会社 |
何が起きたか |
被害額 |
| 2024年1月に警察へ届け出 |
英国の設計会社Arup(香港の社員) |
CFOらが参加するビデオ会議に呼ばれたが、全員がAIで作った偽物だった。同社は「偽の声と映像が使われた」と認めた |
2億香港ドル(約2,560万米ドル) |
| 2026年2月に始まる |
イタリアの銀行インテーザ・サンパオロ傘下のフィデウラム |
CEOを装うWhatsAppのメッセージの後、法律事務所の弁護士を名乗る電話が来た。関係者によると、その声はAIでまねたものだった |
9,500万ユーロ(うち5,300万ユーロを回収) |
フィデウラムの件は、ロイター通信が2026年9月25日に関係者の話として報じました。どちらの事例も、だまされた人は「確認したつもり」になっていました。Arupの社員は、最初は怪しいメールだと疑ったものの、会議の参加者の顔と声が同僚そっくりだったため疑いを捨てたと、香港警察は説明しています。
経理・総務が送金を止める3つの合図
次の3つのうち、1つでも当てはまれば手を止めます。2つ以上そろえば、詐欺の可能性が高いと考えてください。
| 合図 |
見るところ |
根拠 |
| 1. 社長名なのに、いつもと違うアドレス |
表示名ではなく、「@」の後ろまで見る。フリーメールなら要注意 |
酒田の件ではアドレスが別物だった。石川県警は、フリーメールから来た場合は詐欺と考えてほしいと呼びかけている |
| 2. 社外のSNSへ移ろうとする |
LINEなどのグループ作成、QRコードの返信、経理担当の招待 |
警察庁は「SNSグループの利用を指示されたら注意」としている |
| 3. お金の話と口止め |
口座残高を聞く、至急の送金、他の人を入れるなという指示 |
警察庁の手口説明と、石川の件の文面 |
そのまま使える社内の送金ルール
IPAは、ビジネスメール詐欺の対策として、電信送金に関する社内規程の整備(チェック体制の整備)を挙げています。急な振込先や決済手段の変更があれば、取引先にメール以外の方法で確かめることも勧めています。これを社内のルールに落とすと、次のようになります。
| 決めること |
ルールの例 |
| 指示の経路 |
社長・役員からの送金指示は、LINEなどのチャットやメールだけでは受けない |
| 確認の方法 |
新しい振込先や急ぎの送金は、社内名簿にある番号へ自分から電話して確かめる |
| 承認 |
振込を作る人と承認する人を分ける。一定額以上は2人以上で承認する |
| 入金前の送金 |
「入金があるので先に振り込んで」という指示には、入金を確かめるまで応じない |
| 例外 |
社長本人の指示でも例外を作らない。確認できない送金は翌営業日に回す |
社長が全社員の前で「私はチャットで送金を指示しない。確認の電話は歓迎する」と伝えておくと、部下が確認の電話をかけやすくなります。
社長名のメールが届いたときの対応手順
合図に気づいたときに、その場で迷わないよう手順を決めておきます。
- メールには返信せず、LINEグループも作らない。QRコードも送らない
- 社内名簿にある社長(または秘書)の番号へ、自分から電話して事実を確かめる
- 社長本人と連絡がつかないときは、上司か経理の責任者に相談し、送金は保留する
- 偽物と分かったら、メールを削除する前に情シスへ転送する
- 情シスは、同じメールが届いたほかの社員を調べ、全社に注意を出す
声や映像の偽物に備える
AIでまねた声や映像は、聞き分けや見分けで防ぐのが難しくなっています。備えは、確認の仕組みを相手任せにしないことです。
- 相手からかかってきた電話や、相手が設定したビデオ会議だけで送金を決めない
- 送金の確認は、社内名簿の番号へ自分からかけ直す方法に限る
- 役員の声が講演や動画で公開されているかどうかに関係なく、同じ決まりで確かめる
今日からできること
最後に、立場ごとに今日やることをまとめます。
経営者・役員
- 「送金の指示はチャットでは出さない」と、社内に一斉に伝える
- 確認の電話には必ず出る、出られないときは折り返すと約束する
経理・総務
- 社長名のメールは、表示名ではなくアドレスの「@」の後ろまで確かめる
- LINEグループ作成やQRコードの返信を求められたら、作らずに上司へ相談する
- 送金前の折り返し確認は、社内名簿の番号に自分からかける
情シス
- 経理・総務向けに、警察庁の手口の4段階を5分で説明する場を作る
- 同じ件名のメールが社内に何通届いているかを調べ、届いた人に個別に注意する
犯人は、社長への遠慮と「急ぎ」の空気を利用します。確認の手順を先に決めておけば、偽物の声やメールを見抜けなくても、お金は動きません。